410シャルダム・サーカス

二幕からなる芝居





第一幕

ヴェルトゥーノフ(ため息をついて、舞台前面に座り、片手に頭をもたせかけ、再びため息をつく。舞台に団長が入ってくる。音楽が鳴る。団長はお辞儀をする。音楽がやむ)
     団長(観客に)。     こんにちは。
ヴェルトゥーノフ(悲しげに) さようなら。
      団長(観客に)   「さようなら」とおっしゃったのはどちら様ですか?どなたもおっしゃらない?なら、よろしい・・・。
ヴェルトゥーノフ(ため息をつきながら)
                 いや、よかないですよ。
   団長。    「よかないよ」とおっしゃったのはどちら様?どちらもおっしゃらない?そうでございますか・・・。
ヴェルトゥーノフ。 いや、そうじゃない。
      団長。     一体何なんだ?!
ヴェルトゥーノフ。 はぁ、ぁあ、あぁ。
    団長。    ため息をついているのはどちら様ですか?どこにいるんです?もしかしてイスの下かな?違うな。もしかしてイスの後ろ?これも違う。すみませんがね!あなたはどこですか?
ヴェルトゥーノフ。 ここです。
       団長。    そこで何をしていらっしゃるのかな?
ヴェルトゥーノフ。 何もしてませんよ。ただ座っているだけです。
      団長。    何だって私たちの邪魔をなさるんです?
ヴェルトゥーノフ。 邪魔なんかしてない。
      団長。     話もさせてくれないで、邪魔してないとはよく言えたものだ!
ヴェルトゥーノフ。 あなたはずっとべらべら独り言を言っていたんじゃありませんか。
    団長。    よろしゅうございますか!これは人形サーカスでございまして、今から私どもは公演を始めなければいけないのです。よくご存知なくせに。あちらに座ってくださいまし。
ヴェルトゥーノフ(とびあがって)。 
                人形サーカスですって!なんと、ぼくはあなたがたをもう二ヶ月も探し回っていたんですよ!もう見つからないかと思ってたのに!うれしいなあ!いやもう、お願いです、キスさせてください。(団長にキスする)
 団長(身をふり払いながら)
        
 ご勘弁を、ご勘弁を。どちら様が、何の御用でしょうか?
ヴェルトゥーノフ。 ヴェルトゥーノフといいます、ぼく、あなたのサーカスに出演したいのです。
   団長。     舞台で何をおやりになるので?
ヴェルトゥーノフ。 言われれば何でもやります。
     団長。     ふうむ・・・。綱渡りは出来ますか?
ヴェルトゥーノフ。 いいえ、綱渡りは出来ません。
     団長。     ふむ。逆立ち歩きは出来ますか?
ヴェルトゥーノフ。 いいえ。それも出来ません
    団長。    ふむ・・・。それじゃ何がお出来になるので?     
ヴェルトゥーノフ。 ぼくは、あのう、飛ぶことができます。
      団長。   飛ぶこと?飛ぶというと?
ヴェルトゥーノフ。 うーん、飛ぶというとですね。あのう、ただこうやって、普通やるみたいに。床から浮き上がって、飛びます。
    団長。   バカも休み休みお願いいたします。人間は飛べないでしょ。
ヴェルトゥーノフ。 いいえ、飛べますよ。
    団長。   いいえ、飛べません。
ヴェルトゥーノフ。 飛べると言ってるんだ!
      団長。   じゃあ飛んでみてくださいよ。
ヴェルトゥーノフ。 飛びます!
     団長。   ああ、飛びなさい、飛びなさい!
ヴェルトゥーノフ。 飛びますよ!

     団長 。   おや飛ばないんですか?
ヴェルトゥーノフ。 ぼく犬の吠え声が出来ます。多分、おたくにはそういう演目が必要なんじゃありませんか?
     団長。     じゃあ、吠えてみてください。
ヴェルトゥーノフ。  アフ、アフ、アフ、アフ!(まったく犬の吠え声に似ていない)
   団長。    いや、そんな演目はうちには要りません。
ヴェルトゥーノフ。 要るかもしれませんよ?
     団長。    要らないとのことです。
ヴェルトゥーノフ。 だけどもしかして、万が一・・・。
    団長。    すみませんが、今わたくしどもは、公演を始めなくちゃいけないのです。お願いですから、舞台から出ていってくださいまし。
ヴェルトゥーノフ。 ぼく片足で立てます。(片足になる)
   団長。    出てって、出てって。
ヴェルトゥーノフ(出て行くが、幕の後ろからしゃべりかける)
ぼく豚の鳴き声ができます。ブウ、ブウ、ブウ。(まったく豚の鳴き声に似ていない)。
  団長。    出て行ってくれとのことです。(ヴェルトゥーノフは姿を消す)。ああ、なんていやな奴だろう!(咳をし、観客に話しかける)うおっほん、おほん・・・。では我がサーカスの出し物を始めさせて頂きます・・・。
ヴェルトゥーノフ(袖から)
 
馬のいななきも出来ますけど。(支配人は睨みつける。ヴェルトゥーノフは消える。)
  団長(観客に) サーカスの出し物でございます。第一部は地上での曲芸、第二部は水中での曲芸、第三部は・・・お家にお帰り願います。 

  
T
ゴング

団長。  プログラム第一番目の演目は、高名なる馬遣い、ロベルト・ロベルトヴィッチ・レペーヒンでございます。
 自分のひじの裏をかじれる人はおりません。
 マッチ箱に隠れられる人はおりません。
 それと同様、ロベルト・ロベルトヴィッチ・レペーヒンよりも巧みに馬を駆れる者もございません。
 音楽!

 音楽が演奏される。ロベルト・ロベルトヴィッチ・レペーヒンが馬に乗って登場。馬の曲芸と曲乗りを始める。やがてレパーヒンは馬から飛び降り、四方へお辞儀をして、走り去る。馬の首をかぶせた棒にまたがり、花束を手に持って、ピエロが舞台に走りこんでくる。

  クラウン  ブラボー、ブラボー!すごく良かったよ!ウィウィウィウィウィ!さあこれが私ですよ、そしてこれは花束ですよ!ウィウィウィウィウィウィウィ!ロシア語ではラズ、ドゥヴァ、トゥリ、そしてドイツ語ではエイン、ツヴェイ、ドラーイ。ウィウィウィウィウィウィウィ!掛け算九々には四苦八苦が不可欠無可決。一方私の感じによると、掛け算九々もてっきりかっきり駆けてっちまう!ウィウィウィウィウィウィウィ!(走り去る)。
  舞台の上にぬっとヴェルトーノフが登場し、キョロキョロしながら照明のほうへ歩く。

 団長(出し物を告知するために前へ出る)
         
何でまたここにいるんです?
ヴェルトゥーノフ あのう、僕はただ、ハエの飛び方を見せようかと思って。
    団長    なんですと?ハエの飛び方?
ヴェルトゥーノフ(勢いづいて
         
見てください。ハエの飛行の物真似。(頻繁に腕を振り、「ブン、ブン、ブン、ブン」と言いながら、小刻みに舞台を走りまわる)。

 団長(心に染み入るように)。
               今この瞬間にこの場所から出て行ってくださいまし。

   ヴェルトゥーノフは首を伸ばして立ち、支配人を見ている。


団長(足を踏みならして)。ウウッ!

ヴェルトゥーノフ急いで走り去る。


U
ゴング


 団長。  プログラムお次の曲芸は、綱渡り界のバレリーナ、アラベッラ・ムーレン‐プーレンでございます。音楽!

 音楽が演奏される。アラベッラが走り出てくる。綱渡りの曲芸。
ピエロが花束を持って出てくる。
 クラウン。  ブラボー、ブラボー!すごく良いじゃない!ウィウィウィウィウィウィウィ!ロシア語ではラズ、ドヴァ、トゥリ、ドイツ語ではエイン・ツヴェイ・ドラーイ!ウィウィウィウィウィウィウィ!
 アラベッラは四方の観客にお辞儀をする。ピエロは方膝を曲げてアラベッラにお辞儀をする。アラベッラ走り去る。ピエロはずっこける。団長登場。クラウンは立ち上がり、脇に退く。

V
ゴング
  団長。  我らがプログラムお次の演目は、空中アクロバット、ヴォロージャ・カブルコフでございます。
 クラウン。 我らがプログラムお次の演目は、空中アクロバット、セリョージャ・ペトラコフでございます。
 団長(大声でしつこく)。 
       セリョージャ・ペトラコフではございません、ヴォロージャ・カブルコフでございます!

 クラウン。 ヴォロージャ・カブルコフではございません、セリョージャ・ペトラコフでございます!
  団長。  プログラムお次の演目は、空中アクロバットの                         ヴォロージャ・カブルコフ! 
      
(一緒に)   
 クラウン。             セリョージャ・ペトラコフ!
 団長。              ヴォロージャ・カブルコフ!
(一緒に)
 ピエロ。             セリョージャ・ペトラコフ! 

 団長。              ヴォロージャ・カブルコフ!
      (一緒に)
 ピエロ。              セリョージャ・ペトラコフ!

 音楽が鳴る。アクロバットが出てきて、曲芸を始める。団長はライトの左側に立ち、ピエロはちょっとづつ右側に移動する。 
クラウン。  ブラボー、ブラボー!すごく良いね、セリョージャ・ペトラコフくん!
 団長。   だからこれはセリョージャ・ペトラコフじゃないったら、ヴォロージャ・カブルコフなんだよ!
クラウン。  素晴らしいよ、セリョージャ・ペトラコフくん!
  団長。   こりゃ一体どういうことだ?(観客に)これはヴォロージャ・カブルコフでございます!正直に申し上げます、これはヴォロージャ・カブルコフなのでございます。
ヴェルトゥーノフ(袖から)
           出演をお許しください。四つんばいになって、雄ヤギの歩き方をやってみせます。
 団長やけっぱちな声で)
       ああ、ダメ、ダメ!いりません!出て行ってください!

ヴェルトゥーノフ。 出演をお許しください。
   団長。     あとで、あとで。今はダメです。出て行ってくださいよ。
ヴェルトゥーノフ。 あとだったらいいんですか?
   団長。     あと、あと。出て行ってくださいまし!
 アクロバットは曲芸を続けている。音楽が演奏される。危険な瞬間。音楽は演奏をやめる。太鼓がドロドロドロと震えるように鳴る。右袖からヴェルトゥーノフがひょっこり現れる。アクロバットは曲芸を終え、ブランコに座って揺れている。
ヴェルトゥーノフ  ぼくの出番ですか?
 団長はヴェルトゥーノフのほうに向かって出て行けという風に手を振る。しかしヴェルトゥーノフは舞台を四つんばいになって歩きはじめる。団長はヴェルトゥーノフのほうへ駆けてゆく。
ヴェルトゥーノフ  わたしはヤァァギ!わたしはヤァァギ!メエエエ!メエエエ!
   団長。    (歯をぎりぎりとさせて)どこかへ消え失せてくださいまし!(ヴェルトゥーノフを突き飛ばす)失せやがってくださいまし!ああ!スキャンダルだ!なんというスキャンダル!出てけ!何なんだこれは?おおお!


W
ゴング
  団長(哀れな声で)。 プログラムの次の演目は、床アクロバットのクリュークシンとクルークシンのお二人です。音楽!

 音楽が演奏される。床アクロバット演者が登場し、演技を始める。演技を追え、クリュークシンとクルークシンは四方へお辞儀をし、退場する。団長登場。音楽がやむ。

  団長。  ああ、この演目は無事に終わったようだ。ヴェルトゥーノフはいなかったぞ。



X
ゴング
  舞台にヴェルトゥーノフ登場。

  団長ヴェルトゥーノフに気がつかない) 
          プログラム、お次の演目は、マチルダ・ダルディダス。奇跡・・・(くしゃみをする)

ヴェルトゥーノフ。 お大事に。
  団長(ヴェルトゥーノフに気がつかない) 
          ありがとうございます。奇跡の猛獣使い。芸達者な猛獣たちの登場です。(くしゃみをする)

ヴェルトゥーノフ。 お大事に。
    団長。     ありがとうございます。
ヴェルトゥーノフ。 出演させてください。
  団長(慄きながらヴェルトゥーノフのほうを振り返る)
           またあなたですか?

ヴェルトゥーノフ。 ぼくジャンピングできますよ。
    団長。     一体何ですか?うちにあなたは必要ないと言ったじゃありませんか。出て行ってください。出て行ってください。そしてもう入ってきちゃあいけませんよ。
 
 音楽。マチルダが走り出してくる。ヴェルトゥーノフと団長は退場。猛獣の曲芸が始まる。サッカー。
 マチルダは四方にお辞儀をして退場。団長が登場する。団長は幕の後ろを覗いたり、上を見上げたり周りをきょろきょろ見たりする。
  団長。  さて、あのそら恐ろしいヴェルトゥーノフがどこにもいないうちに、さっさと次の演目にうつらせていただきます。
 
Y
ゴング
  団長。  フィリピン人ジャグラーの登場です!名前もやはりフィリピン風!彼の名前はアム‐ガム‐グラム・カバ‐ラバ・サバ‐ラバ・サンバ‐ギブ‐チップ‐リブ・チキ‐キキ・キュキ‐リュキ・チュフ‐シュフ・スドゥグル‐プーグル・オフ‐オフ・プルル。
  ええい、音楽!
  音楽が演奏される。団長は立って待っている。ジャグラーの代わりに、舞台に現れたのはヴェルトゥーノフ。
  団長(恐怖に駆られて)  またもヴェルトゥーノフ!

  音楽がやむ。
ヴェルトゥーノフ。 出演をお許しください・・・。
   団長。    お出しするわけには参りませんな。今はアム‐ガム‐グラム・カバ‐ラバ・サバ‐ラバ・サンバ‐ギブ‐チップ‐リブ・チキ‐キキ・キュキ‐リュキ・チュフ‐シュフ・スドゥグル‐プーグル・オフ‐オフ・プルルの出番なのですから。
ヴェルトゥーノフ。 今はぼくを舞台に上げてくださいよ。その後でアム‐ガム‐グラム・カバ‐ラバ・サバ‐ラバ・サンバ‐ギブ‐チップ‐リブ・チキ‐キキ・キュキ‐リュキ・チュフ‐シュフ・スドゥグル‐プーグル・オフ‐オフ・プルルを出演させればいいでしょう。
     団長。     だめです、とのことです。今演じるのはアム‐ガム‐グラム・カバ‐ラバ・サバ‐ラバ・サンバ‐ギブ‐チップ‐リブ・チキ‐キキ・キュキ‐リュキ・チュフ‐シュフ・スドゥグル‐プーグル・オフ‐オフ・プルルなのです。 ええい、音楽!
 団長はヴェルトゥーノフを追い払う。二人とも退場。舞台にジャグラーが登場。演技。演目が終わると、ジャグラーは空中に大きなボールを投げる。ボールが空中で割れると、中から花束を手に持ったピエロがパラシュートで降りてくる。
クラウン。  ブラボー、ブラボー!すごく良いじゃない!ウィウィウィウィウィウィウィ!
  団長登場。
  クラウンはジャグラーに花束を差し出す。ジャグラーは花束を受け取ろうとするが、クラウンはくるりと彼に背を向け、団長に花束を差し出す。
  団長。   これは何ですか?
クラウン。  花束ですよ。
  団長。   誰に?
クラウン。  あなたに。
  団長。   どなたから?
クラウン。  私からでございます、そしてこれは(花束で団長をぶん殴る)観客のみなさまから!ウィウィウィウィウィウィウィ!
  団長。    このならず者!強盗!不良!殺してやる!両腕と両足をへし折ってやる!
  音楽が鳴っている。団長はピエロに飛びかかってゆく。クラウンはパラシュートで上へ飛び上がる。音楽がやむ。
 団長(ひとり残って)。 不良め。
 
Z
ゴング
  団長。  プログラムお次の演目は、恐ろしいほど力持ち、パラモン・アグルツォフでございます。片手で持ち上げるは75キロのジャガイモ袋。ある日のことでございます、彼は庭園のベンチに座り、アイスクリームを一人前、ウエハースつきで食べておりました。暑い日でございました。鳥が歌い、蜂がブンブンいっておりました。突然パラモン・アグルツォフの足を蟻がチクリと噛んだのでございます。パラモン・アグルツォフは飛び上がり、怒髪天をつくや、あらん限りの力をこめて、こぶしでベンチをぶん殴りました。するとなんと、ベンチが消えたではございませんか。そのきえたベンチが地下四メートル半のところで見つかったのは、それから一年もたった頃、その場所で井戸が掘られた折でありました。パラモン・アグルツォフがいかなる力でベンチをぶん殴ったのか、おわかりになることでしょう!さあ、その彼の登場です。
  力持ちが登場し、音楽に合わせてのっしのっしと舞台の周りを歩く。力持ちは団長の方へ近づく。力持ちの後ろからヴェルトゥーノフが出てくる。
    団長。     あっ、ああっ!(ずっこける。音楽が鳴り止む。)
ヴェルトゥーノフ。 出演をお許しください。僕はちょっとだけ身長を伸ばすことが出来ます。
団長(跳ね起きながら)
           出演ですって?ああ!どうぞ!さあ、ここにお立ちなさい!出演なさい!身長を伸ばしてくださいましよ!は、は、は!(悪魔のように笑う)。
  ヴェルトゥーノフは観客に顔を向けて、示された場所に立つ。団長は力持ちになにか耳打ちする。力持ちはヴェルトゥーノフに近寄るなり、頭を後ろからぶん殴る。ヴェルトゥーノフは落っこちてゆく。音楽が鳴る。

     団長。   ウラー!ウラー!地面の下に落っこちていった!わーい!もうヴェルトゥーノフはいないぞ!ばんざーい!(団長は音楽に合わせてステップを踏む。力持ちは自分の芸を見せている。)
   団長。   はい、それでは、アクアリウムの準備のため、10分間の休憩を頂きます。
  そして幕が下がる。
第一幕終了。
休憩。

 挿絵 河原朝生
第二幕
音楽が演奏される。団長登場。お辞儀をする。音楽やむ。
   団長。  ええ、さてと。第二幕を始めたいと思います。ヴエルトゥーノフは金輪際参りませんし、もう邪魔をする者はおりません・・・。(演奏が始まる。)ちょっとやめて。待ってくださいね。弾かないで下さいね。まだ話し終えてませんからね。(演奏やむ)さて皆様、舞台の上のガラスの水槽をご覧くださいませ。アーティストたちが・・・(演奏がはじまる)ちょっと待ってください。とめて下さい。(演奏がやむ)。話してるんですから。やれやれ。アーティストたちが潜水服を着ておりまして、さあ始めるは・・・(演奏)一体何だ、これは!演奏をやめなさい!(音楽がやむ)。話も出来やしない。(観客に)潜水服に身を包んだアーティストたちが、ガラスの水槽の中に降りてゆき、水面下で見事な芸を成し遂げます。水中の檻の中に、調教されたサメが見えるでしょうか。これは非常に危険であります。水槽は割れてしまうやも知れません、となればサーカス全体が水浸しでございます。けれどもヴェルトゥーノフはございません、邪魔者はもうおりません。すべてがうまくゆくでしょう。さて、それでは・・・・。
 
  「見事な芸を成し遂げます」の言葉のあとくらいに、舞台板の下からゆっくりとヴェルトゥーノフが這い上がりはじめる。彼は白い水玉模様のスカーフで頬かむりしている。団長は最初彼に気がつかない。しかし気がつくと、絶句して顎を前につき出し、黙って立ち尽くす。

ヴェルトゥーノフ(地面から這い上がりながら、かすれ声で)
         
出演をお許しください。(団長は黙ったまま茫然自失で立っている。)頭をガーンとやられたのです。奈落に落っこちました。あそこで風邪をひいて、声をやられてしまいました。だけどそれでも僕はまだ歌を歌えるのです。出演をお許しください。
      団長。   気分が悪い。(気を失って床に倒れ、頭で水槽を割ってしまう。ガラスの割れる音。舞台に水が流れる。音楽が鳴り出す。)
ヴェルトゥーノフ あっ!あっ!水だ!火事だ!お巡りさん!ご・う・と・うだー!(逃げる)。
  水が舞台に溢れる。水槽から水が流れ出し、舞台に水があふれ出す。『沈没サーカス』の場。音声合唱。水の音。音楽が鳴る。舞台裏で声がする。静寂。水没した舞台。海草が生えてくる。大小の魚が泳ぎまわる。ついに、団長が奥から泳いで出てくる。
  泳ぎ出てくる団長。

バレリーナ。  あら、あら!何が起こったのかしら?私、どうやら、水の下だわ。
  団長。     ええ、水槽が割れて、劇場のなかに水が溢れたのです。
バレリーナ。  まあ、怖い!(泳ぎ去ってゆく)あら。あら。あら。
  団長。     潜水服を着る暇もありませんでしたよ。

  力持ちのパラモン・アグルツォフが泳いでくる。
力持ち。  プーフ、プーフ。何が起こったんだ?
 団長。  落ち着いてくださいまし。我々は沈んじまっただけですよ。
力持ち。  こりゃ、また、なあ。(泳ぎ去る)
  団長。  もしかして、私はもう死んでるんじゃないだろうか?
 
  ジャグラーが泳いでくる。
  ジャグラー  (おびえあがり、なにもわからず)
      ベェ ベェ べぇ べぇ べぇ
      シャウ シャウ
      クルュ クルュ クルュ
      チャウ チャウ チャウ
      プリン プリン プリン
      ディル ディル ディル
      ブリ ブリ ブリ
  団長。  その通りでございます、これは水でございます。水ですよ。
  ジャグラー  (なにもわからず)
      チャム チャム チャム
      ゴム ゴム ゴム
      チュク チュク チュク
      ブッリ ブッリ ブッリ
        (泳ぎさる)。
  団長。  もし私が死んでるならば、身動きもできないはずだ。ちょっと手を動かしてみようか。動くなあ。ちょっと足を動かしてみようかしら。(足を揺らしてみる)。動く。それじゃあちょっと頭を動かしてみよう。(頭をゆらゆらさせる)やっぱり動く。ということは、私は生きてるんだ。ばんざーい!
レペーヒンの声。  トプルルル・・・ンンノオオオ・・・トプルルル・・・おい・・・ンンノオオオ・・・(レペーヒンが馬に乗って泳いでくる)
レペーヒン。  トプルルル・・・お前に言ってるんだトプルルル。なにが起こった?トプルルル。
    団長。  水槽が割れまして。劇場が水浸しなのです。私たちはみんな水の下ですよ。
レペーヒン。  トプルルル・・・。何?トプル・・・(馬がレペーヒンを袖に運んでいってしまう)。
レペーヒンの声。 何だこれは?トプルルル・・・。ンノオオオ・・・。何だこれは?トプルルル・・・。
   団長。    つまり、私は生きてるんだ。そして彼も生きている。僕らはみんな生きている。

  ヴァーニャ・クリュークシンが逆立ちしながら泳いでくる。
ヴァーニャ・クリュークシン。  どういう意味か説明してください。
団長。   これはつまり、水の下にいたって、私たちはみんな生きているんだ、ということでございますよ。
ヴァーニャ・クリュークシン。  さっぱり何にもわかりません。(泳ぎ去る)
  団長。  わかってまいりましたぞ・・・。ばんざーい!すっかりわかった。水の下にいても、私たちに何も起こらないのは、私たちが木でできた役者だからなのです。
バレリーナ。  まさか私も木で出来ているの?
  団長。  もちろんですよ。
バレリーナ。  そんなことないんじゃないかしら。私はこんなにうまく踊れるのに。
  団長。  何をおっしゃいますやら!例えばね、私を御覧なさい、こんなに頭が良いにも関わらず、やっぱり木製じゃありませんか。
  舞台にマチルダ・デルディダスが登場し、サメの檻をもち出してくる。
   長。  それは何ですかな?
マチルダ。  これあたしが仕込んだサメのピニヘェン。あたしの芸みせる。
   団長。  彼女、檻から逃げ出さないでしょうね?
マチルダ。  おお、いいえ、檻を開けるのには、このレバー押すこと必要。あたしのサメそれできない。彼とってもキケワケがいい。アッレ、オップ!(サメが泳ぎ出てくる。)
   団長。  それにしても何で彼女、私をあんな風に見ているんですかね?
マチルダ。  食べたいから。
 団長。   彼女、何を食べるんですか?
マチルダ。  おぉ、なんでもかんでも。昨日は彼、自転車とグランドピアノふたつ、エイン・枕、ツヴェイ・コーヒーミルと厚い本を四つ食べた。
   団長。  やや、そうですか。彼、人間は食べますか?
マチルダ。  オオ、ヤー。ええ、はい。彼女、わたしの知り合いのカール・イワーヌイチ・シューステリング食べました。
  団長。  ううむ・・・。ところで今日彼女は、まだ何も食べていないのでございますか?
マチルダ。  はい。今日は彼女お腹あいてる。
  団長。  今日はどんな餌をあげるおつもり?
マチルダ。  ああ、私エイン・カメラとラクダひとつ持てます。
  団長。  それじゃ急いで餌をあげてくださいまし。
マチルダ。  アレ・オップ!今ラクダ連れてくるよ。このレバー落ちないために、あなた見てるいい。
  団長。  いいえ、私もあなたとご一緒したほうがいいでしょう。マチルダ・カーロヴナ!マチルダ・カーロブナ、待ってください。
 
  マチルダと団長は泳ぎ去る。
  舞台にヴェルトゥーノフ登場。
ヴェルトゥーノフ。  ふう、水の下を泳いでる、まるで魚だな。まさかぼくは魚じゃないだろうな?ナマズじゃないし、カマスじゃない、フナじゃないし、スズキでもない。オホ、ホ、ホ。(檻の開閉レバーの上に座ったので、檻が開いてしまう。檻から静かにサメが出てくる。)さてどうやって水から這い上がればいいかな?あの時頭のどこかをおもりでぶん殴られて、ぼくは地下に落ちていった。床のあの場所に、穴が残っているかもしれないぞ。それを足で広げたら、水はそこを伝って地下に流れ出てくれるんじゃないだろうか。あの穴がどこにあるか、探しに行こう。水の中じゃすぐには見つからないだろうけど。(退場)
 団長とマチルダ・デルディダスが後ろにラクダを伴って登場。
マチルダ。  さあ、ほら、今から私たち、私のピニヘェンにエインぶんのラクダあげましょう。これだけじゃとても足りないです、だけど・・・ああ、ああ。
   団長。  何ですか?
マチルダ。  ああ、私のピニヘェン逃げました。
   団長。  お巡りさん!逃げられる人は逃げてー!お巡りさん!

ヴァーニャ・クリュークシンが走り出てくる。

 
ヴァーニャ。  何事です?
  マチルダ。  私のピニヘェン!私のピニヘェン!(ラクダと一緒に走り去る)。
ヴァーニャ。  どういう事?
   団長。   どういう事かと申しますと、彼女が檻から逃げてしまったのです。
ヴァーニャ。  てことは、彼女、電波系ですか?
   団長。  腹ペコなんですよ。
ヴァーニャ。  それじゃカツレツパンでもあげたらいいでしょう。
   団長。  彼女にカツレツだなんて?彼女は昨日、グランドピアノを二台と、自転車と、他にもあれこれ食べたほどですぞ。
ヴァーニャ。  ほほう、なんとね?
    団長。  今日の分としてはラクダがあるのだけれども、ラクダ一匹じゃ彼女には物足りないのです。
ヴァーニャ。  ラクダなんて食べるんですか?
    団長。  何でも食べますよ。人だって食っちまいますから。
ヴァーニャ。  え、え、え、人さえも!
   団長。  私はあっちを見てきますから、ここにいて下さい。マチルダ・カーロブナ!マチルダ・カーロブナ!(退場)。
ヴァーニャ。  えらいこった!誰が想像しただろう!あんな綺麗な人が、そんな大食いだったとは。
  クラウンが泳いでくる。
 クラウン。  ウィウィウィウィウィ!ほら、あたしだよ。
ヴァーニャ。  あんた、聞いたか?
  クラウン。  聞いたよ。
ヴァーニャ。  何を聞いたんだい?
  クラウン。  あたしゃ何にも聞いちゃいないよ。ウィウィウィウィウィ。
ヴァーニャ。  チッ。おれは真面目に言ってるんだよ。あんた知ってるか、うちの猛獣使いのマチルダ・デルディダスさんが、グランドピアノを食ったってさ?
 クラウン。  グランドピアノ?
 ヴァーニャ。  それも二台のグランドピアノと、自転車もだぜ。
 クラウン。  食った?
ヴァーニャ。  そう、食ったんだ。
 クラウン。  ウィウィウィウィウィ。
ヴァーニャ。  笑ってる場合じゃないんだよ。彼女がラクダを食いに行くところを、おれは自分で見たんだから。このあとは人を食うんだと。
  クラウン。  あたしも食われるかね?
ヴァーニャ。  お前もおれもさ。
 クラウン。  おい、おい、おい、おい。あい、あい、あい、あい。
 団長。  (舞台を横切って走りながら)彼女はもうラクダを食べてしまったぞ。
ヴァーニャ。  おい、おい、おい、おい。
 クラウン。  おい、おい、おい、おい。
  マチルダ登場。

 マチルダ。  ピニヘェン、ピニヘェン。
 ヴァーニャとピエロ(腰を抜かして)。  あああああああ!べ、べ、べ、べ、勘弁してください!
  ピエロ。  あたしゃ不味いです、この人のほうが旨いです。
ヴァーニャ。  違う、嘘だ。俺は塩辛です。彼のほうが上物ですよ。
  ピエロ。  信じちゃいけません。この人まったく塩辛なんかじゃないんですよ。すごく美味しい奴なんだ。
 マチルダ。  おお、この人たちフェリシュテェエ・ニヒテ、私わかりません。私のピニヘェンはどこ、ピニヘェン、ピニヘェン。(走り去る)
 団長(舞台を横切って走りながら) 
        お巡りさん!逃げられる人は逃げてー!お巡りさん!

力持ち(泳ぎながら)
        誰が?何?どうして?どこから?どうやって?どこで?どこへ?何のために?誰を?何を?(泳ぎ去る)

 バレリーナ(泳ぎながら)
        あふ、あふ、あふ、あふ。いふ、いふ、いふ、いふ。

 ジャグラー(走りながら)  
             チャウ チャウ チャウ
             シャウ シャウ シャウ
             キャウ キャウ キャウ
             ミャウ ミャウ ミャウ。
レペーヒン(馬の上で) 
          トプルル・・・ンノオオ・・・。トプルルル・・・ふざけてんだろ・・・トプル・・・どこへ運んで行くんだい。トプルルル・・・。ンノオオオオ・・・。トプルル・・・。

クリュークシン。  何事が起こったのか、説明してください。さっぱり何にもわからない。(どちらも泳いでいる。一人は逆立ちしている。)

  サメが静かに泳いでくる。

 マチルダ(サメのあとを追って泳ぎながら)。 
          
おお、私のピニヘェン、私のピニヘェン。
 緊迫の間。
ヴァーニャ。  あんた、見たか?
  クラウン。  見た。
ヴァーニャ。  うん、何を?
 クラウン。  あたしに言わせりゃ、彼女あの魚を食おうとしているね。
ヴァーニャ。  あのさ?
 クラウン。  なにさ?
ヴァーニャ。  逃げよう。
 クラウン。  逃げよう。
ヴァーニャ。  おい、前を走りなよ、おれはあんたの後から行く。
 クラウン。  いいよ、あたしはあんたの後ろを走るから、あんた、あたしの前を走りなよ。
ヴァーニャ。  いや、おれがあんたの後ろを走るって。あんたは前を走りなよ。
 クラウン。  あのさ?
ヴァーニャ。  うん?
 クラウン。  それじゃあたしが三つ数えるから、いっせいに走り出そうよ。
ヴァーニャ。  わかった、数えてくれ。
 クラウン。  ロシア語でいくよ。ラズ、ドヴァ、トゥリ。

  ヴァーニャが走り出す。
                ドイツ語ではね。エイン、ツヴェイ、ドラーイ。
  クラウンが走り出す。ヴェルトゥーノフ登場。
ヴェルトゥーノフ。  どこかな?どこだろう?(舞台を歩き回り、身をかがめて床を手で触りながら、探している)。ここら辺だよなあ・・・。おや・・・。これのような気がするけど・・・。やっぱりそうだ!(穴を掘り返す。水音が聞こえる。)水が流れ出したぞ。ばんざーい!
  音楽が鳴る。サメが泳ぎ出てくる。

 あっ!これは何だ?


  サメがヴェルトゥーノフに迫ってくる。
あっ、あっ、あっ!
  暗転。照明効果。音楽。
  マチルダの声。  おお、ピニヘェン。私のピニヘェン。
  「水抜き」の場。音声合唱。水の音。音楽が鳴っている。
  明るい光。サーカスは水から解放された。舞台には死んだサメが横たわっている。音楽が鳴る。団長の登場。お辞儀。音楽がやむ。

  団長。  お約束しました水中パントマイムは、中止と相なりました。水槽が割れてしまったのでございます。劇場は水浸し、檻からはサメが逃げ出し、私たちはみな危うく死んでしまうところでした。それもこれもみんなヴェルトゥーノフ氏のせいでございますが、彼はサメに丸のみされてしまいましたので、これで我々は彼から最終的に解放されたというわけです。それから海の怪物は、水がないので息も絶え絶え。もう何も恐れることはありません。ご覧下さいまし。(団長はサメを足で蹴る)

 サメ。       あ、いてっ!
 団長(飛び退って) 何ですと?「いてっ」とおっしゃったのはどちら様?どなたも言っていない・・・。ほらこう、見てください、私がサメを蹴るでしょう。
    サメ。      あ、あ、あ。勘弁してくださいよ。
   団長。     何です、これは?サメが話しているのです。どういうことですか?
    サメ。     僕が言ったんですよ。
   団長。    何か、お、お、お、お入用でご、ご、ございますか、あ、あ、あ、あなた?
   サメ。    出演をお許しください。
     団長。   な、なぁぁぁにを、あなた、お、お、お、おっしゃいますこ、こ、ことやら。
    サメ。    今、腹を裂きますから。
   団長。    あっあっあっ!わかりました、結構です!ご出演なさってください。
   サメ。    今すぐ。(サメのなかからヴェルトゥーノフが這い出てくる。)
ヴェルトゥーノフ。 さあ、ほら、腹を裂いてしまったからには、もう自由の身です。出演してもいいんですね?僕は頭で立つことができます。
    団長。    おーお。(床に座りこむ)。あなたが何も出来やしないことくらい、知っているんですからね。頭で立つというのがどういうことか、今あなたに見せてあげましょう。ええい、ヴァーニャ・クリュークシン!
  ヴァーニャ・クリュークシンが出てくる。
 どうやって頭で立つのか、彼に見せてやってください。
ヴァーニャ。  そんなのはチョチョイのチョイですよ。見てください!オップ!(ヴァーニャは頭で立つ。その時マチルダが走り出てくる。)
 マチルダ。  私のピニヘェンはどこ?ピニヘェンはどうしたの?
ヴァーニャ転倒する。
ヴァーニャ(床に転がって)。  ああっ、お許しください。あああああ。殺さないで下さい!
  団長。   何ですかあなた、何ですか。大したことじゃありませんよ。誰にでもよくある事じゃありませんか。
ヴァーニャ。  ああっ、恐ろしい!
   団長。   つまらないことですってば。
ヴァーニャ。  つまりすぎだよ。あっあっあっあっ。
    団長。  彼は気分が悪いようですな。
 マチルダ。  今、少し水持ってくる。水あると楽なる。(退場)
ヴァーニャ。  あっあっあっあっ。水なんかないほうがいいよ。あっあっあっあっ。(うめく)
クラウンが走り出てくる
 クラウン。  ウィウィウィウィウィウィウィ。ブラボー、ブラボー。すごく良いじゃない。ウィウィウィウィ。(ヴァーニャを見て)彼、どうしたの?
   団長。   頭で立とうとしたのですが、うまくいかなかったものだから、ひどく動揺してしまってね。
 クラウン(ヴァーニャへ)
        お聞きよ。何を泣いているのさ?あたしが頭で立ってあげるじゃないさ。ほい、ごらん。(ピエロは頭で立つ。その時マチルダがコップに入れた水と一緒に入ってくる。ピエロは転倒する。)

 マチルダ。  さあほら、水持ち来てあげたよ。
 クラウン。  あっあっあっあっ!べべべべべ!やめて下さい、ああっ、殺さないで下さい。
   団長。   何だって言うのです?
 マチルダ。  おお、もう一人。今この水から二人ともね。
 クラウンとヴァーニャ(ひざまづく)。  
        
え、え、え!ああああああ。べべべべ。水は要りません。お許しください。ああ、やめてください!
  団長。   もう、良い加減してくださいよ、本当に。
クラウンとヴァーニャ。 
        
い、いや、やめるもんですか。どうして我々なんです?彼にしたらいいじゃないか。(ヴェルトゥーノフのほうを指しながら)
   団長。   何で彼に?あなた方のほうが良いですよ。
クラウンとヴァーニャ。
        
いや、我々はだめです、彼のほうが上物です。
     団長。   ああ、わかりました、わかりましたよ!ちょっと落ち着いてくださいまし。ヴェルトゥーノフ!クラウンとアクロバットの代わりをつとめたいかい?
ヴェルトゥーノフ。 もちろんですとも。
   団長。    聞きましたか。彼は賛成してますよ。
クラウンとヴァーニャ
           えええええ。信じられない。

    団長。    落ち着いてくださいまし。今彼があなた方に見せてくれますから。
   マチルダ。  ジェンジェン何もわからない。私のピニヘェン探しいく。(退場)。
     団長。    ヴェルトゥーノフ!あなたには太鼓もちをしていただきますよ。
ヴェルトゥーノフ。  太鼓はどこですか?
     団長。     何の太鼓?
ヴェルトゥーノフ。  太鼓もちをやれって、そちらが言ったんじゃありませんか。
    団長。     それはね、クラウンになってほしいっていう意味ですよ。
   クラウン。    あたしがいるじゃありませんか。
     団長。    あなた、自分でやりたくないと言って、代わりをヴェルトゥーノフに頼んだのでしょう。
ヴァーニャとクラウン。
          
いいえ、いいえ。全然違いますよ。私たちは、彼を食べて欲しかったんです。
     団長。    食べて?
ヴァーニャとクラウン。
          
まあ、ええ。彼女が彼を食べたらいいなって。
    団長。    彼女って誰です?
   クラウン。  彼女ですよ・・・猛獣使い。
    団長。    わかりませんなあ。
   ヴァーニャ。  だから、彼女、俺たちを食いたがってたんですよ。
   クラウン。  だけどあたしたち、おいしくないんです。
 ヴァーニャ。  (ヴェルトゥーノフを指差しながら)彼はおいしいけど。
    団長。   なんだって?
   クラウン。  彼女はグランドピアノを食べたんです。
 ヴァーニャ。  それに自転車も。
  クラウン。  それにラクダも、それにミシンも、それにコーヒーミルを四つも。
   団長。   誰?マチルダが?
クラウンとヴァーニャ。 
         
そうなんです。マチルダが。
    団長。   ははは!
クラウンとヴァーニャ。 
         
どうして笑うんですか?
    団長。   ははは!あなた方は思い違いしたのです。グランドピアノと自転車とラクダを食べたのはマチルダ・デルディダスさんじゃなくて、サメのピニヘェンですよ。

  マチルダが入ってくる。
 マチルダ。 おお、私のピニヘェンどこ?誰か私のピニヘェン見なかった?

  クラウンとヴァーニャは万が一のために脇に避ける。
  団長。  あなたのピニヘェンはもうおりません。
マチルダ。 彼はどこ?
 団長。  あなたのサメは水がなくて干上がってしまいましたよ。
マチルダ。 おお?あの子とても可愛い子かったのに。私のサメ返してください。私の良い子ピニヘェン。
  団長。  あなたの可愛い良い子ピニヘェンは、ほら、この紳士を丸呑みしたのですぞ。
マチルダ。  
おお、あの子生きた人間食べるの、好きだったから。
ヴェルトゥーノフ。 そうなんです、僕、床に穴を見つけたんです。それをつたって水が出て行くように、穴を広げていたら、何かに飛びつかれて、呑み込まれちまいまして。
    団長。    それじゃ、水から私たちを救ってくれたのは、あなただったのですか?
ヴェルトゥーノフ。  ええ、僕です。
     団長。     それじゃ、あなたは私たちの命の恩人ということになるのですね。
ヴェルトゥーノフ。  出演をお許しください。
      団長。    あなたを私のサーカス団にお入れします。あなたを仕込んでみましょう。クラウンと、アクロバットと、歌手と、ダンサーにおなりなさい。
    マチルダ。   おお、私のペニヘェン、あなた食ぺた。彼あなた好きなった。だから私もあなた好きなる。
     団長。     というわけで、ヴェルトゥーノフ氏には、うちのサーカスで修行をしていただきます。良いサーカス芸人になるためには、たくさん学ばなくてはなりませんよ。
ヴェルトゥーノフ。  ばんざい!ぼく、あなたのところで勉強します。あなたのところで修行します。
クラウンとヴァーニャ。 君は我々のところで修行しなさい。
ヴェルトゥーノフ。  僕、クラウンになります。いっぺんに、レスラーにも、アクロバット芸人にも、歌手にも、ダンサーにもなります。
    団長。     それでは今から私どもが、どういう風に仕事をするのか、お見せすることにいたしましょう。空中アクロバットのヴォロージャ・カブルコフの見世物です。

音楽。カブルコフのナンバー。
ヴェルトゥーノフ。  じゃあ今度は僕が出演してもいいですか?
     団長。    おやりなさい。(観客に)お次はヴァーニャ・クリュークシンとジョニー・クルークシンの演目に、ヴェルトゥーノフ氏が参加して、皆さんに芸をお見せいたします。ええい、音楽!
  音楽が鳴る。芸。

  幕。
 
(1935)







 「シャルダム・サーカス」(原題цирк шардам)は、サンクトペテルブルグ(当時はペトログラードといいました)にある人形劇団、テアトル・マリオネートックのためにハルムスが書き下ろした戯曲です。
テアトル・マリオネートック(
Санкт-Петербургский театр марионеток им. Е.С.Деммени)は1918年に創立された、ロシアで初めてのプロの人形劇団でした。現在もペテルブルグで活動を続けています。

 その創立者であったリュボーフ・ヴァシーリエヴナ・シャポリーナが、ハルムスの『シャルダム・サーカス』の初演の際も芸術監督を務めました。彼女は、出版されたテクストの脚注に、「
1935年の88日に最終稿あがる。85日より稽古開始」と注記しています。この人形劇が初公開されたのは、193510月でした。
  ここに出てくる「最終稿」とは、ハルムスの自筆原稿のことです。初演後、この自筆原稿はタイプライターで打ち直されて、雑誌に発表されますが、その際にはハルムスとシャポリーナの校正・脚注が入り、自筆原稿とはだいぶ違ったものが発表されました。今回私が翻訳したのは、タイプライターで打ちなおされ、「現代ドラマツルギー」という雑誌に発表されたバージョンです。
この『シャルダム・サーカス』は、人形劇団のための戯曲という性質上、必然的に子供用のテクストであり、ハルムス特有の毒は影を潜めていますが、そのぶんシニカルなユーモアが上品な形で昇華され、わかりやすく、家族で楽しめるようなドタバタ喜劇に仕上がっています。
ハルムス特有の擬音語・造語・言葉遊びは、ここでもふんだんに見られます。『シャルダム・サーカス』には、第二部に、「沈没サーカスの場」と「脱水の場」という、二つの場面転換が出てきます。自筆原稿では、その両方のト書きに、音声合唱というリマルクが出てくるのですが、これが、非常にハルムスらしいもので、読んでいて思わずクスクス笑ってしまうようなものです。

 

T ソプラノ

U アルト
V テノール
W バス おいおいおい

私のピニヘェン、私のピニヘェン



 

おい、おい、おい、おい
サメだ、助けて!

T 私のピニヘェン、可愛い子!
U
V
W


ああ、ああ、ああ、あああ、え、い、お

 

ウィウィウィウィウィウィウィ
何だこりゃ?
何だこりゃ?

TイーイーイーイーUアーアーアーアー
Vチャウチャウチャウチャウ
W


シャウシャウシャウシャウ
オーオーオーオー

 

キャウキャウキャウキャウ
エーエーエーエーエーエー

Tミャウミャウミャウミャウ
U
V
Wオーオーオーオー

  

ヌォォ・・トプルル・・・(×2)

(音楽なしで)

 

さっぱり何にもわからないよ!


Tチャウ(×4)U 同じ
V 同じ
W 同じ


T シャウ(×
4
U 同じ
V 同じ
W 同じ


T キャウ(×4)
U 同じ

V 同じ
W 同じ


T ミャウ(×4)

U 同じ
V 同じ
W 同じ

 

 いかがでしょうか(笑)。無意味とばかばかしさとリズムがいい感じにブレンドされていることがお分かりになると思います。 
 この『シャルダム・サーカス』は、何の芸もないのにとにかくサーカスの舞台に立ちたいヴェルトゥーノフが、無謀にもサーカス団長に出演を願い出るお話です。彼は拒否され追い払われ否定されますが、あくまでもねばります。おかげでサーカスは大混乱に落ちいりますが、最終的にヴェルトゥーノフの一途さと善良な意思がサーカスを救うことになり、そのことが認められて、彼はついに自分の夢を実現させることになります。
 日本人はとかく謙虚で、自分の分をわきまえて控えめにしているのが美徳とされています。
 けれど、私自身の人生を振り返ってみても、その自分の謙虚さと自己批判の精神、またはその裏にある自信の欠如、怠惰といったものが、いかに自己実現を阻んできたかは驚くばかりです。
 
 だからといってヴェルトゥーノフのように、周り中に迷惑をかけながら突進していけばいいというものではありませんが、どんなことがあってもあきらめず、めげずに、「何もできない自分」というものを、堂々と売り込んでゆくヴェルトゥーノフに、学ぶところは沢山あると思うのです。スターになる人間、一人の芸術家として生きてゆける人間に、才能が必要なことは言うまでもありませんが、強い願望と意思は、もしかしたら才能を凌駕するのかもしれません。
 また、逆の面から言うと、ずうずうしくてあきらめない人間が夢を実現させるということは、必ずしも芸術にとって良いことだとは限りません。
 テレビを見ても、芝居を見ても、展覧会などに行っても、悪趣味で無教養で才能もないようにみえる人間が、どうしようもないグダグダなやっつけ仕事を、やる気だけで押し通している場面は、至るところで見受けられます。『何故こいつがこれをやっているのだろう?』とどこかで思ったことのない人はいないのではないでしょうか。
 そういうものを見ると、やはり団長と同じく、ムラムラと怒りが湧き上がってきて、「どこかへ消えうせてくださいまし!失せやがってくださいまし!!!」と思うのですが、にもかかわらず、そういう人間は、どこにでもいます。どこにでもいて、意外と人気を博したり、成功して、下手に才能のある人間の何倍も稼いだりしているものです。

 現実というのは実はそういう風に出来ており、そういう風に現実が出来ているからこそ、この『シャルダム・サーカス』が喜劇として成立しているのでしょう。
 一見子供用の芝居で、無邪気で楽しいお芝居と見せかけつつ、笑っているうちに皮肉や毒、風刺がちくちくと効いてくるのは、さすがハルムス、一筋縄ではいきません。
シャルダム、というのは、いくつかあったハルムスのペンネーム(ハルムスの場合は戯号、とでも訳したいところですが)のうちのひとつだったといいます。ですから、「シャルダム・サーカス」というのは、まさにハルムスのサーカスだったといえますし、またその団長はもしかしたら、ハルムスの分身であると読むこともできます。
 ところで現在テアトル・マリオネートックは、この『シャルダム・サーカス』をレパートリーにはしていないようです。が、ロシア国内のいくつかの人形劇団及び劇団においては、上演している(していた)ところもあります。
 ちょっと探してみた限りでは、
 
 
ペテルブルグ・野良犬人形劇場
 


 
ペテルブルグ・人形・マイム劇場ミミグラントィ
「シャルダム・サーカスでござい!」

 
ペテルブルグ エルミタージュ劇場
「ハルムス!チャルムス!シャルダム!またはクラウン学校」


 イルクーツク 人形劇場雛こうのとり
「シャルダム・サーカス」
     ウラジオストック・PKTK
      「信じられないシャルダム・サーカス」


 
などがありました。上に上げたものの中では、レパートリーになっていないもの、一回限りの企画ものもありますが、シャルダム・サーカスはわりとロシアでは好まれて上演されているようです。
ロシアの人形劇は、決して侮れません。非常に高度な技術と、アカデミックなメソッドで鍛えられた芸術家たちの創造性に支えられています。

 ロシア在住の方、または観光や仕事でかの地に行く機会のある方は、是非「シャルダム・サーカス」がやっていないかどうかをチケット売り場で探してみて、さらに観劇してみてはいかがでしょうか。